16. “イレーヌ・キューリー傳”:第1章よりの抜書き
いままで本ブログ上に掲載してきたマリー・キューリー著“ピエール・キューリー傳”は、マリーが共同研究者であり人生の伴侶である夫ピエールに対する愛惜な気持ちを、抑えつつ淡々と書いてきた文章である。私は、本シリーズを締めくくるに当たって彼らの2人の娘、長女イレーヌ、次女エーブの視点から、母マリーに対しどのように接し、感じ、思っていたのか?
ここに16,17に長女イレーヌ、次女エーブの思いが書かれた文章を抜書きすることで、本シリーズを締めくくる。16,17の2編に関しては、映像化しない。
映像化しないが、全体の文書をまとめ E-Bookの形式で発表する。
2011/04/07 Prof. Kubo
5.イレーヌ・キューリー傳 (ノエル・オロオ著)
第1章 より“ 抜書き ”
編者の言葉
以下に掲げる文章は、“イレーヌ・ジョリオ・キューリー傳”より抜書きしたものである。
いままでブログ上に掲載してきたマリー・キューリー著“ピエール・キューリー傳”に於いて、マリーは“私は、ピエール・キューリーが遺した家族の悲しみについて記述しようとは思わない”と書いてある。まるで日本の武士の妻・母が夫あるいは息子の死骸を迎え入れたときの、内心の動揺・悲しさを抑え、凛とした毅然とした態度を想起する。
それに対し、父親の秘蔵子であった、イレーヌの子供の視点からの考え・感じたことを
皆さんに伝えたく、ここに抜書きを掲載する。元本は”Irene Joliot-Curie”(共同通信社)刊、良訳である,一読されることをお勧めする。
“1934年7月4日
この日、マリーキューリーが国葬を断った本人の意思に沿って、ソーの墓地に埋葬される。
穏やかな夏のこの日、マリーの長女である36歳の若い女性には、母の死が信じられない。母というだけでなく、協力者であり、友人であり、先生であり、憧れの的であり、不滅と信じていた、自分の生命そのもののような存在であった。
マリーより先にピエール・キューリー、祖父のウジェーヌ・キューリーが埋葬されている小さな墓地で、娘のイレーヌ・ジョリオ・キューリーは詰めかけたジャーナリストにもみくちゃにされながら、茫然自失のさまを隠さない。夫のジョリオが記者たちに自制を促している傍らで、妹のエーブと顔を合わせる。妹は、母の病気の間ずっと付き添っていた。
思春期の頃は、姉と母の会話から締め出されるのに耐えられなかった妹のエーブ。うっとりするほど美しく、ピアノと文章に才能のあるエーブ。そのエーブは激情に打ちのめされ、こらえ切れなくなっている。イレーヌは生まれた初めてエーブを羨ましく思う。
かわいい妹は、取り乱し、実に素直に深い悲しみに身を任せている。イレーヌには、身をさいなむ後悔の思いはない。母親でもあったマリー・キューリーという学者を全面的に神格化してきたからだ。自分が生きている限り喪に服し続けるつもりだ。
イレーヌには、夫と2人の幼児という愛するものがいるにしても、この日からただ独りで新たな運命と向き合わなければならないことに気づく。マリー・キューリーと切り離されながら、その死を悲しんではならないという運命なのだ。父、ピエールの死の直後から、母と娘は互いに、相手に最高のものを求めるパートナーであった。
かの若いポーランド女性は、一張羅のちんちくりんの黒いドレスでパリの駅頭に降り立ち、
カルチェラタンの屋根裏部屋で、痩せ衰えながら勉強し、最優秀で理学、数学の学士号を、
ついで教授資格を、さらに全ヨーロッパで始めての女性博士号を取得した。
マリーとピエールの出会い、ピエールの激しい一目惚れ、1895年の結婚、1897年の長女の誕生。イレーヌが自分の誕生直後について、知っている事の全ては、父方の祖父,医師の
ウジェーヌ・キューリーのおかげである。出産時にはウジェーヌ・キューリー医師が産科医の手助けに立った。赤ちゃんは金髪でばら色の肌をしており、祖父はもう赤ちゃんに夢中だ。祖父は若い夫婦とイレーヌを伴って、引っ越した。質素な一戸建てだが、子供がのびのびと育つのに適した庭付きの家である。事実伸び伸び育つイレーヌ。赤ちゃんの時からイレーヌは要求の激しい、育て難い子であった。イレーヌが育っている知的環境には、
すてきなおじいちゃんと家政婦が付き添っている。然し彼女がほしがるのは母親の存在である。イレーヌは、マリーがそばに来てキスしてくれない限り、眠ろうとはしない。娘のベットの上にかがみこんで、マリーが娘に聞かせる物語は、“赤頭巾ちゃんの物語”ではなく、若いポーランド女性が四等の座席で三日間を過ごしてパリに降り立つ物語、貧しい
学費で科学を学ぶために留学してくる物語である。イレーヌは強い感銘を受けて、祖父に
読み書きを教えてほしいと頼むのだった。孫の様子を注意深く観察しているウジェーヌ・
キューリー医師は、イレーヌのささやかな願いや、留守がちな両親に向ける反発にも耳を傾けてやる。彼はイレーヌが苦しんでいる愛情不足を埋め合わせてやろうと、自分の好きなビクトル・ユーゴーの詩を読んで聞かせたり、ピエールの子供時代の話をしてやったりする。ピエールは、今のイレーヌと同じように、利かぬ気の子供だったし、その性格は今も持ち続けている。
イレーヌが尋ねる“ママときたら、昼も夜も、私が眠っている夜でも研究所に行くんだから” イレーヌの苦悩のタネは、ここにある。彼女の大敵はモーロン街の研究所だ。母が研究のため使うウラン鉱石もそうだ。研究ってなんの役に立つのだろう?イレーヌは、
それを知りたいのだ。イレーヌは、もっと知りた。キューリー医師はイレーヌに向かって、
貴方のママは研究の道を選んだのだと説明しが、イレーヌは少しも聞こうとはしない。
早熟だが、強情な子である。とうとう根負けした祖父は、ある日モーロン街の研究所に連れて行く。マリーが夏は灼熱、冬は氷のように冷たい倉庫の中で、勇気を振り絞って働いている姿を見せることで、孫を納得させようと。この倉庫はノーベル賞受賞後に、世界中の新聞に写真が掲載され、神話的な存在になる。イレーヌはあきれる。彼女の両親は自宅の庭でイレーヌと過ごすより、こんなおんぼろの建物の中で一日の大半を過ごす事を好むなんて。もっと悪いことに、ママは朝、顔を洗ってふっくらした髪を整えたときはとても
美しいのに、ここでは疲れきった顔つきで、髪も乱れた姿だ。ママの両手は、パパの両手と同様、赤くなっている。ママの黒いドレスは、ほこりで白っぽくなっている。
いや、どうしてもいや!イレーヌには理解できない。“
イレーヌ・ジョリオ・キューリー
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