公式ブログ1:投稿原稿 分野:古典物理学 2011/03/12
4. 物理学史-1:
マリー・キューリー著、湯浅年子訳 “ピエール・キューリー傳”
この序文・“訳者のことば・母に捧ぐ (1945.10.9)”を紹介する。
小生は、1942.12月に東京・四谷に生まれた。小学校に上がり、文字が読めるようになる
と母からもらった小遣いを貯め、それを手に握り締め、下駄を履いて、市谷、靖国神社、
九段下と都電の線路沿いに神田の古本屋街に通った。多くは岩波文庫の寺田虎彦、中谷
宇吉郎、湯川秀樹、友永振一郎という日本の物理学を切り開いた先生方の随筆であった。
ある日とある古本屋の片隅で、一冊のぼろぼろの小冊子を見つけた。それが
マリー・キューリー著、湯浅年子訳 “ピエール・キューリー傳”である。この本を読
終えた時、私は、子供心に物理学を一生学び続けようと決めた。この小冊子は、私に
とっての聖書である。
マリー・キューリー著、湯浅年子訳
“ピエール・キューリー傳”
“訳者のことば・母に捧ぐ (1945.10.9)”湯浅年子
1941年の3月23日は私にとって忘れることの出来ない日である。フランスに留学して初め
ての研究論文を書き終えてコレジ・ド・フランスの核化学研究所の門を出た私は、パリ
特有の美しい黄昏時、物皆が金色に、やがて紫色に映える美しい夕暮れを、久しぶりに
軽いほのぼのとした気持ちでセーヌ川に沿って散歩したのだった。故国に病む父もきっと
この研究の成果を喜んでくれるであろう、と思いながら・・・・・ しかしその日、私の帰りを待っていたものは、日本からはるばる伝えられた父の訃報であった。必ず帰国を待っている、との書信を得て一月と経っていなかった。私は生きて行く自信を失った。翌日研究所で、私は指導を受けていた研究所長のジョリオ教授の前に帰国の許しを乞うた。
教授は静にしかし厳かにいわれた。「今まで貴女に戦争の危険を考えて帰国を勧めたこともあった。しかし今こそ私はあなたに命令する。ここに止まって研究に精進するように。
今日も悲しみのために仕事を中止してはいけない。そして明日は土曜日だからお昼から家に来てマダム・ジョリオと一緒に一日お過ごしなさい。」
この言葉は私の研究への希望、父の死によって雲散霧消してして、しまったと見えた科学への愛着を再び強くよみがえさせた。「研究に精進しよう、生きている限りは」と漸く思い直した私は、しかしなお暗い心でマダム・ジョリオを訪れた。その時である、マダム・
ジョリオが静に私の手に渡して下さった本こそ、今ここに訳出した「ピエール・キューリー傳」である。父君であるピエール・キューリーを早く喪われた、然も、父君の秘蔵子であったマダム・ジョリオが、三十有余年の永い年月、耐えてこられた父君への追慕の情の、
如何に苦しいものであったかを知り得て、私の心は漸く僅かに和むことを得たのだった。
帰宅後、夜を徹して之を読了した私は、マダム・キューリーが、自ら私にこの伝記を語られているような錯覚を起こした。科学者らしい、率直な、地味な、謙虚な叙述の中に秘められた、複雑な、熱烈な、高邁な魂の、その突然奪われた半身にたいする愛慕と、崇敬の記述であるといふ強い感動をもって、一言隻句をも逃さじと読み進んだのである。
読み終えて私は、洗い清められたような清清しさの裡にあった。
悲しみに徹して研究に精進することの尊さを感得したと思った。その時以来、私は幾度この尊い小冊子を読み返して心の聖書としたことであろう。まことに、之は科学者の聖典である。又科学教育の正しき方向を示す教典である。そして又この上なく美しい人生と、
愛情との書である。私はキューリー夫妻の場合程、美しい二つの人格の融合は、世にも珍しいと思うのである。また之程激しい熱烈な愛情――科学に対して又人間に対して――はその例が少ないであろうと思う。
日本に帰ったら必ず訳して多くの人に読んでほしいとこの時以来思っていた。
世界を動乱と悲惨の中に陥れた大戦は、私どもにとってまことに悲しい終局をもたらした。
敗北の一歩手前に追い込まれた祖国をさして、昨年六月帰国を急ぐ私の胸の中には、祖国の母の健在と、祖国の同胞と運命を共にすること以外の希望はなかった。
その母は再会の喜びを二十日間分つたのみで他界してしまった。祖国は敗れた。私は母の霊を祀るべき家も手段もなかった。七十有余年の生涯を子供達の為にのみ、ひたすら捧げてくれた母に手向ける香華もなかった。何をもってその霊を安んじればよいか、考え続けた私は、この、私にとって何物より尊い書を訳出して、私にとってかけがえのない愛する母への手向草にしようと決心した。私は母の七七忌に之を訳了して、心ばかりの母への
供養とした。このあまりに個人的感情をマダム・キューリーの又ピエール・キューリーの偉大さの前に恥ずかしく思うのであるが、きっと夫妻はこの気持ちを、諒とされるであろうと堅く信じている。そして私と同じように、小さい色々の苦しみにつまづきよろめきながら、しかもなほ科学への愛情を断ちがたく思う数多くの人に、この書が勇気を与え、高きに導き、静かな喜びを与えんことを希つてやまない。
昭和二十二年二月 湯浅 年子
2011/03/12 Prof. Kubo
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