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2013年6月29日土曜日

                2013/6/29 INU受講生諸君へ

1.2013/6/29 INU公式ブログを開設しました。

2.目的と役割

  ①新設する研究プロジェクト「科学者・信仰者の系譜」
  
         研究プロジェクト「日本の禅者の系譜」

   は講義録の配信のみで行う、通信教育です。 このブログに掲載します。
   (映像は、現在進行中の2系列の講義以外にする時間的余裕はありません)
           私の任務は、研究と教育だけです
  

  ②今回(INU受講生)諸君からアンケートの回答を得、検討しました。
   教授と受講生一人ひとりより、情報を共有したほうが良いと判断しました。
   そこでブログの機能を使い、(INU受講生フォーラム)を開設します。
   諸君の質問に対する教授からの回答を共有するだけではなく、受講生同士の議論を歓迎
   します。
  3.               INUの正式ロゴマークを定めました。
                   宇宙を見つめ、人間を見つめる INU
   
 
 
2013/06/29 INU:学長・教授 久保

 
                2013/6/29 (INU受講生)諸君

このたび、私からのアンケートに対し(INU受講生)諸君から回答をもらいました。
アンケートの回答者には、私から返信はしておきました。諸君からの回答を読むと、受講生諸君が共有したほうが良い質問と私からの回答が多くありました。
2013/6/28東大本郷で、ユビキタス・コンピューティングのシンポジウムがあり、その会場で若い優れた技術者(工学博士)に出会い提案を受けました。
私は、(INU受講生)をメンバーとするフォーラムを作り、情報の共有、受講生同士の議論の場を設けたいと思っていました。その技術者からブログを使うことを提案があり、検討結果適切な提案であることから採用しました。それがこのブログです。
Google Bloggerの提供する機能を使い、新規開設する
① INU研究プロジェクト:「科学者・信仰者の系譜」
② INU研究プロジェクト:「日本の禅者の系譜」 道元・一休・良寛
   の掲載(YouTubeは動画サイト)TEXTの掲載は不可、HP制作している暇はないのです。
   私の仕事は、研究と教育です。他のことはしません、時間もないのです。

さらに受講生とのメール交換による対話を、このフォーラムにより受講生全体の議論の場と
します。意見交換の場では、口火は私から発言するとしても、受講生同士の議論を勧めます。
また諸君からのメールを読むと、人生経験もありしっかりした考えの持ち主です。

次に、INUの公式日程に関し専用カレンダーを開設します。講義の予定表とか何らかの記念行事
とか、時には諸君が希望するならば諸君との意見交換会を検討します。(私の研究室のある新宿で開催します)

本題の大学院大学の機能を整えていきます。諸君の参加と手伝いを望みます。

このINUは世界でも類のない形態の高度教育機関です
(東大、上智:入学金、授業料をとります。INUは一切ただ、但し学位と就職の世話もない)

2013/06/29 0:36 INU:学長・教授 久保

  

2011年6月8日水曜日

21. メールアカウントがフィッシング被害にあった報告

21. メールアカウントがフィッシング被害にあった報告

皆さんごぶさたでした。皆さんに被害にあわないよう警告の意味で、報告します。

2011/06/01 Google gmail team の名前で、英文のメールを受信しました。内容はgmail userに対し、
セキュリティーのために、各ユーザーのメールアドレス、パスワード、住所、職業等記入の上返信
するようにとの内容でした。私はGoogleの各種提供サービスを使っており、Googleに対し信頼していたので、送られてきたメールに回答しました。
ところが、これがフィッシング(パッキングの一種:魚釣りに例え、個人情報を不法に取得する行為)だったのです。後で調べてわかったのですが、
「Googleは、決してユーザーのパスワード、カード情報等を問い合わせることはありません」
然しその時点では、知らなかったので、回答してしまったのです。その結果不法にフィッシングした
者により、情報が改ざんされ、小生の名前で偽のメールが送られたのです。
英文で、「現在外国旅行中で、財布、カード等が盗まれ、困っている。この為金を送ってくれ、帰国したら返す」 という内容。昨日は南アフリカからも報告がありました。
私の名前をかたった偽メールで、卑怯な不法行為です

昨日対策は実施しました。

このような被害に皆さんがあわないよう、警告のため報告します
                  2011/06/08  Prof. Kubo

2011年5月16日月曜日

20. “仏教伝来の旅路” を公式サイトに特集を組みました

20. “仏教伝来の旅路”特集を公式サイトに組みました

         Prof.Kubo Blog2:とYouTube上に掲載してきた
        “仏教伝来の旅路”特集を公式サイトに組みました
   「人類の文化の源流を求めて」シリーズの一環として
    インドーガンダーラー西域ー中国ー日本へと 辿る
     “仏教伝来の旅路”映像・5章構成です

                         http://kuboinst.org/inex3.htm

               Click Now!

2011年4月10日日曜日

19. 公式サイトに特集を組みました。

19. 公式サイトに特集を組みました。

公式サイトに、本公式ブログ1に連載していた
マダム&ピエール・キューリー傳の特集を組みアップしました。

アップしたサイトは、PC&携帯への読み込みを早くしました。
また、映像(動画)は携帯でも再生できるようにしました。
        http://kuboinst.org/      Click Now!

小生は、これから公式ブログ2のほうに、“人類の文化の源流を求めて”の一環として、アジア文化の柱の一つの
               “仏教の歴史”について書いていきます。

                            2011/04/10  Prof. Kubo




2011年4月7日木曜日

17. “キューリー夫人傳”(エーブ・キューリー著)より “はしがき”

17. “キューリー夫人傳”(エーブ・キューリー著)より 
“はしがき

編者の言葉

エーブ・キューリー著・“キューリー夫人傳”(白水社刊)の“はしがき”の抜書きである
私は、前回ブログ上の掲載した“イレーヌ・キューリー傳”よりの抜書きに於いて、
キューリー家の長女イレーヌ・ジョリオ・キューリーの子供の視点からの考え・感じたことを掲載した。これに対し次女エーブ・キューリーはピアニスト・作家として活躍した。長女イレーヌが科学者になり母・マリーのこよなき共同研究者となったに対し、次女エーブは文筆とピアノ演奏に才能を示した。母マリーの秘書役として、病床のマリーの介護につくし最期を看取った。エーブの文体は、マリーのそれを受け継ぐのか事実を語り、言葉は実際に語られた言葉のみをを記している。淡々たる文体の中に母に対する尊敬、愛情の念が読む者の心を強く打つ。
              はしがき“  
マリー・キューリーの生涯は波瀾をきわめ、数々のエピソードに富んでいるので、何か
伝説でも語るように彼女の一生を語りたい思いに駆られる。

 彼女は女性であった。彼女は被圧迫民族に属していた。彼女は貧しかった。彼女は
美しかった。豊かな天分は、彼女をして祖国ポーランドを去って、パリに科学の研究に
行かせた。ここで彼女は孤独と艱難の幾年かを過ごした。
彼女は、彼女のように天分を抱いた一人の男に出会った。彼女は、その男と結婚した。
二人の幸せは世に、比類のない質のものであった。
熱烈をきわめた、第三者には無味乾燥と思われる努力の結果、彼らはラジウムを発見した。
彼らの発見は、一つの新しい科学、新しい哲学を誕生させたばかりでなく、難病の治療法も人類にもたらした。
 学者としての栄誉が、彼らにもたらせようとした折もおり、マリーの上にもが襲いかかった。賛嘆すべき彼女の伴侶ピエールは、彼女の手から一瞬にして,死の手に奪い取られた。心の痛手と肉体の不調にも屈せず、彼女は研究を独力で続行し、彼ら夫妻によって創造された研究を見事に発展させた。以後の余生は、人類への不断の寄与に捧げられた。
第一次大戦の負傷者に対しては、献身的活動をし自らの健康をも犠牲にした。
 晩年には、彼女の弟子や、世界中から集まった未来の学者の為に、あらゆる時間を割いて自らの知識を授け、助言を与えた。

富を拒み名誉に無関心であった彼女は、自らの使命を果たし、心身を消耗しつくして、
消えるが如くこの世を去った。

 この物語に、いささかでも修飾を加えたならば、私は罪を犯したことになるだろう。私はじぶんで確かでないものは、ただ一つとした語らなかった。私は大切な言葉の一つをも変えなかった。書かれた事実は実際にあった事であり、言葉は実際に語られた言葉である。
 私は、この書を読まれる方々が、母の生涯において最も大事なもの、即ち、確固不抜の
精神を読み取ることを希望する。それは、理知の不撓不屈の努力であり、あらゆるものを与え、何物をも取ることも、受けることさえ知らなかった精神であり、目覚しい成功も、不運逆境さえもその純真さを変えることの出来なかった魂である。このような魂を持っていたればこそ、マリー・キューリーは世の常の天才が華々しい名声から引き出す事の出来る利益を遠ざけても、なんら痛痒を感じなかったのである。

 私が、生まれたのは母が37歳の時であった。私が、母を知り得る程に成長した時、彼女は有名な老婦人になっていた。しかし“知名な学者”という感じは私にとって、縁の薄いものであった。・・自分が有名であるという観念が、彼女の頭の中になかったからに相違ない。私には、私の生まれる以前、数々の夢を抱いていた貧乏書生のマリヤ・スクロドフスカの側にいつも暮らしていたような気がする。
 母の死の瞬間が、やはり彼女の少女時代に似ていた。息を引き取った最後の日にも、無名の時と同じく優しい、一徹でしかもあらゆることに興味を感じる一女性に過ぎなかった。

彼女は田舎の墓地に、しめやかに、簡素に葬られた。



                                 エーブ・キューリー